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“女子の世界”の入り口に立つ娘と、見守る母の距離感

母のしごと記

娘は現在、中学1年生。
これまで友達関係では、大きなトラブルもなく、よくある「女子のいざこざ」に頭を悩ませることもほとんどなかった。もちろん、全くなかったわけではない。むしろ、気づいたら「巻き込まれていた」くらいのことは何度かあった。でも、本人の性格もあってか、嵐の中心にいるタイプではなかった。

そんな娘の交友関係は、大きく3つに分類できる。

  1. 昔からの幼なじみ
  2. とにかく気が合う友達(だいたい2〜3人)
  3. “今”気が合っている子たち(時期によって変わる)

幼なじみの中にも、頻繁に遊ぶ子もいれば、年賀状だけの関係に近い子もいる。3つ目の“今気が合っている子”たちは、とても流動的で、昨日までよく遊びに来ていたのに、ある日を境にパタッと来なくなる……なんてこともよくある。

私はあまり子どもたちの世界に入り込まないようにしている。(私の隠れコミュ障な部分発動w)しかし職業柄(訪問看護で子どもや親子の心のケアに関わってきた影響か)、「あ、この子ちょっと疲れてるな」とか「この一言、気にしてるな」といった表情や言動にはどうしても目がいってしまうのだけれど、それでも“見守る”という距離感を大事にしている。

小学生の頃は、可愛い文房具を見せ合ったり、一緒に絵を描いたりと、世界はどこかふわふわしていて、見ているこちらも癒された。けれど、中学生になるとやっぱり雰囲気は変わってくる。

ある日、娘とその友達の会話をなんとなく耳にした。

「○○グループに私入ってないんだけど!ハブられてる?笑」
「○○グループ、私一人だけになってる!ぼっちやん笑」

……ん? なんだか、雲行きが怪しいぞ。
LINEのグループ機能は、便利だけれど、関係性の“見える化”が過ぎることもある。入っている・いない。招待された・されてない。その一つひとつが、人間関係の「温度差」を如実に浮き彫りにしてしまう。

今回の会話は、自虐的に笑いながら話していたし、誰かを責めるような内容ではなかった。だから「まぁよかった」とホッとした。でも一方で、内心少し気になった。
――これは、“笑って話せる”うちはいい。でももし、内側で誰かが「つらい」と感じていても、それを誰にも言えず、一人で飲み込んでしまっていたとしたら? 

思春期の人間関係のストレスでしんどくなる要因のひとつに、「話せない」「話す相手がいない」がある。感じた気持ちを誰かと共有できるかどうかは、子どものメンタルヘルスにとって非常に大きい。

もちろん、娘のようにフラットに話せる相手がいる子ばかりではない。
だからこそ、大人にできることって、何だろう?と思う。

「最近どうなの?友達とうまくいってる?」と問い詰めるよりも、
「ママも中学生のとき、仲間はずれにされてさ〜(笑)」と、失敗談をあえて“笑い話”として話してみる。そういう「安心感の種」を何気なく渡しておくことって、意外と大きな意味があるんじゃないかと思う。

「あ、うちのママもそんなことあったんや」
「みんな経験するんやな」
「私だけじゃないんだ」

この“私だけじゃない”という実感は、自己肯定感の種になる。
まるで、お笑い芸人さんが自分の失敗をネタにするように、誰かが過去の痛みを笑って話してくれると、「なんや、大丈夫なんや」って思えることがある。

だから、私は今日もこっそりと、娘の背中を見ながら、
「言葉にならない想いの受け皿」を家の中にそっと置いておくようにしている。

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